はじめに

◆2010年10月30日、富岡市で行われた環境フォーラムにて、群馬バイオマス協議会兼菜の花プロジェクトin甘楽代表の強矢義和が講演を行なってまいりました。


 地球温暖化や廃棄物の増加といった、地球規模での環境悪化が進む中、限りある資源を有効に利活用するための「資源循環型社会」の構築が求められています。

遊休農地での菜の花栽培から、資源循環サイクルを地域で実現しようとする「菜の花プロジェクトが全国各地に広がりを見せている中、甘楽町でこの取り組みを進めている「菜の花プロジェクトin甘楽」の代表・強矢(すねや)義和氏に取り組みを話していただきます。


講師:強矢義和氏  (すねや・よしかず)
平成16年にプロジェクトを16人で設立。甘楽町内の遊休農地25ヶ所に菜の花を植え、花を楽しんだ後油搾り、地域の特産として販売、使用後の油は回収してバイオディーゼル燃料としてトラクターなどに使う資源循環の取り組みを県の菜の花エコプロジェクト推進モデル事業として展開。群馬県でも先進的取り組みとして多くの自治体からの視察や、JA女性会、農水省研修所、くらしの会、生協パルシステム、環境カウンセラー等で講演を行っている。




 世界の温暖化と遊休農地


ここ近年の気候について

 今年の夏は本当に暑かったですね。100年に一度の異常気象とか、観測始まって以来の猛暑日、真夏日が続いたのは記憶に新しいところです。一方で4月16日に菜の花まつりというのをやったんですけど、なんと前日は40年ぶりの雪がたくさん降りました。確実に地球が異常気象になっているのが実感できました。

 これは今年の夏のおおまかな地球の様子なんですが、偏西風というの地球の西から東にいつも吹いているんですが、ことしはロシアで北に曲がった後、パキスタンの方に南下、それから日本の北を囲 んでいます。ロシアは何と、平年より10度以上の高温となり37度を記録、北国でランニング姿で水を浴びる人の姿が見られました。そして高熱と乾燥によりたくさんの森林火災が起こったのです。一方ロシアの東側では低気圧で偏西風が南に押し下げられて、パキスタンなどはまれに見る洪水が起きました。普段は乾燥地帯なんだそうですが。

 そして日本が異常なまでの高温になったのは、春に地球温暖化により赤道付近の海水の温度が2?3度上昇し、それがゆっくり北の方へと海水を温めてゆき、夏になると巨大な太平洋高気圧に成長して、日本列島をおおってしまったということです。ですから南から台風や熱帯低気圧が来ても、日本をおおった高気圧にそって、北に行ってしまい、雨が降らない、記録的な猛暑日が続いたと言うことだそうです。

 これらの現象は人間が排出するCO2が大きな原因となっているのは疑いない事実であります。 こんな状況で少しでもCO2を減らしてゆく努力を人間はしなければなりません。このまま放置しておけば、孫子の時代にどんなことになっているか分かりません。

例えば、太陽光発電 200万円です。
ハイブリッドカー、プリウスが200万円です。電気自動車300万円近くです
家庭用燃料電池、いくらかかるんでしょうね。
風力発電、確かどこかで10億かかったとか
こう見てきますと、CO2削減を個人でやろうとするとお金のかかることばかりですね。
何か、お金のかからない方法はないのでしょうか。


甘楽町の遊休農地の現状

これはJAのデータなんですが甘楽町を見ると農家の数も減り、それと共に耕作面積も減。遊休地は表のように213haで、全耕作地の15%程が遊休地になっています。富岡市に関しては3070haの農地の内751haで全体の24%が有休農地と言うことになりますね。

 耕作放棄地のひろがりは、農業への影響としては、病害虫の発生、有害鳥獣の隠れ場所、高崎で菜の花やってる人が、ハクビシンが出て困ったと話してましたが、用水の管理にも支障がでたり、また、地域への影響としては、地域の景観を損ない、土砂やゴミの無断投棄場所、火災発生の原因ともなります。
 しかし何と言っても、農業の衰退ということが一番大きいのではないかと思います。ひいては食の安心安全がおびやかされてしまうということですね。




そこで登場するのが、天ぷら油の回収と菜の花畑なんですね。 使い終わった天ぷら油は従来は下水に流されていたり、新聞紙に染みこませたり、固められてゴミとして捨てられていたもので、その量は見当もつかないくらい膨大な量だと考えられます。 この廃食油を回収して、ディーゼルエンジンの燃料に加工してトラクターやトラック、バスを走らせようというのが菜の花プロジェクトの出発点なのです。



 菜の花プロジェクトとは

 1998年滋賀県愛東町(現東近江市)で始まった取り組みで、藤井絢子さんらの環境生協の皆さんが琵琶湖の環境悪化に対して廃食油石けんをつくる運動を続けていたところ、「びわこ条例」に基づいて洗剤メーカーが「無リン合成洗剤」の販売をはじめる中で、一時は7割を超えた石けんの使用率が急速に低下、つくった石けんが余ってしまう事態になり、そこでバイオディーゼル燃料の先進地ドイツの取り組みを参考にして、菜の花を遊休農地などに植え付け、観光や油などに利用し、その後廃油をバイオディーゼル燃料(BDF)に再利用するという、循環型社会を目指した取り組みに発展させてきたものです。

 その理念は全国に広がり、多くの団体(現在160団体以上)が参加して「菜の花プロジェクト」を展開しています。「菜の花プロジェクトin甘楽」もその一員となっています。

 このプロジェクトの特徴は、中央にある組織が各地の会に指示を出して運動するということではなく「地域主導、住民イニシアティブ」の取り組みということで、菜の花プロジェクトの理念に賛同した団体などが、その地域地域の実情に応じた形での取り組みを、行政とのパートナーシップを取りながら行っていくということで、年に1回「全国菜の花サミット」において全国での取り組みの経験交流をおこなっています。


 私たちが甘楽町で菜の花プロジェクトを行うきっかけ

 テレビなどの報道で滋賀の菜の花プロジェクトの取り組みを知りまして、天ぷら油で車が走るということに素晴らしさを覚えました。かたや、後継者不足、農業の厳しい経営環境の中で、放棄される畑が増えていることを憂えまして、いつか甘楽町でも菜の花プロジェクトができたらいいなと考えていたところ、平成16年度からの群馬県の事業で「菜の花エコプロジェクト推進モデル事業」が立ち上がることを知り、早速「菜の花プロジェクトin甘楽」を発足させて応募しました。
 平成16年6月21日(火)午後7時より、甘楽町公民館ら・ら・かんらにおいて、菜の花プロジェクトの設立総会を行いました。

 このプロジェクトを行うきっかけや、内容、など、資料を準備して説明、特に自立を決めた甘楽町にあって、小さな光ではありますが、輝く、誇れる甘楽町づくりの象徴として菜の花プロジェクトがあることを強調し、楽しさを第一に考えての町づくりネットワークとして出発しました。
 集まってくれた方々は私の旧知の面々でありまして、いずれも町づくりや自分の仕事、さらに地域での活動に意欲的な方達ばかり。設立総会は16名の参加でした。


 菜の花への思い

 私は若い頃から平和運動だとかで映画会やコンサートをやったり、自分でバンドを組んだり、アマチュアの劇団に参加したり、雑誌や同人誌を作って仲間を集めたりと、とにかくたくさんのことをやって来ました。仲間もたくさんできました。  しかしそれらは時間が過ぎてしまうと、思い出という形で消えてしまうと思ったのです。あんなに仲の良かった友だちも結婚したり仕事が忙しくなったりと、合えば懐かしさはあるのですが、その先へはもう進めない。そんなことに気付きました。
 しかしこの菜の花は、仮に私がやめたあとも、誰かがやってくれていれば、菜の花畑がきれいに咲いて残ると考えたのです。

 また、平成の合併の話し合いが進められたとき、甘楽町も富岡市、妙義町との合併を行うという話がありました。その時の合併協議会で「新市まちづくり構想策定委員」ということで、町から出させていただき、合併の議論に参加してきまして、結果として甘楽町は合併せずに自立のまちづくりをして行くことになったわけですが、町でどうやって自立のまちづくりをして行くのかということを話し合って行く中で、やはり予算がないということで、職員や議員の給料を減らす、今まで無料で貸していた公共施設、体育館や公民館などを有料にする。あれも減らすこれも減らすという話になってしまったわけです。合併の論議に係わったものとして少しは夢のある、これが甘楽町だと言われるようなことをしなければとその時思いまして、そうだ菜の花プロジェクトがあるじゃないかと、仲間をさそって取り組みを始めた次第です。



さて、ここからは実際に菜の花をどんな形で栽培しているのか触れてゆきます。→→→     菜の花の栽培〜なたね油の精製